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知的財産高等裁判所 第3部(飯村 敏明裁判長)は、平成19年5月30日午後1時10分、控訴人セイコーエプソン株式会社(以下、エプソンといいます)と被控訴人株式会社エコリカ(以下、エコリカといいます)との間の平成18年(ネ)第10077号特許権侵害差止請求控訴事件について、エプソンの請求を全面的に棄却する、エコリカ勝訴の判決を言い渡しました。
 
この事件は、平成16年12月7日に、エコリカの製造・販売するリサイクルインクがエプソンの保有するインクタンクに関する特許第3257597号を侵害するとして、エプソンがエコリカ製品の販売差し止めと損害賠償を求めて提訴し、平成18年10月18日に東京地裁において言い渡されたエコリカ勝訴の第一審判決に対して、エプソンが即日に控訴の手続きを行い、引き続き知財高裁にて争っていたものです。知財高裁は、審理の結果、東京地裁と同様にエプソン特許を無効とするべきものと認め、純正品メーカーの権利行使を制限しました。この判決により、エコリカのリサイクルインクの製造・販売が今後も認められることとなりました。
 
既にリサイクルインクは、プリンターユーザーの中に広く浸透してきており、ユーザーの皆様の環境意識の高まりと共に、平成19年2月からはグリーン購入法の特定調達品目の認定を受けるなど官民あげての調達が開始され、益々皆様の身近な商品となっております。
エコリカは、単に環境に良いからとの理由でメーカーの保有する特許を無視しても良いと言っている訳ではありません。
我々エコリカは、製品を製造する過程において、メーカーの保有する特許の調査を行い、「その特許が有効かどうか?」、また有効であった場合に「消耗品たるインクの交換が侵害となる製造に当たるのか?侵害とならない修理の範疇に入るのか?」といった点を含めて特許権者の権利に対する検討を十分に行ってまいりました。そういった意味において、今回の知財高裁判決は、純正品メーカーがリサイクルインクを封じ込めるために、特許の権利範囲を不当に拡大して権利行使を行ったことに対して特許自体を無効とすべきと判断したものであり、環境保護とリサイクル促進の法律が整備され、官民あげてリサイクル品の調達の必要性が叫ばれている社会情勢とも合致した極めて妥当な判断であるといえます。
 
インクカートリッジに限らず、ユーザーの「少しでも環境にやさしい製品を利用したい」「リサイクル商品を使用する事で製品を捨てることなく繰り返し使いたい」といった考えは、地球温暖化の問題が深刻に受け止められるようになった現在と、訴訟の始まった3年前とを比較して更に強くなっており、数多くのユーザー様から激励のお言葉も頂戴しております。
 
しかし、今回の知財高裁判決は、リサイクルと特許権の消尽と言った問題や「プリンターメーカーが回避できない特許をインクカートリッジの中に埋め込む」「リサイクルしにくい形状を採用する」「インクカートリッジの中にICチップ等を埋め込み、その内容を暗号化・複雑化する事によって詰め替えインクやリサイクルインク等の市場参入を拒む」ことなどの純正品メーカーがリサイクル対策として行っていることまでは争点となっておりません。
 
エコリカは、キヤノン社とリサイクルアシスト社の訴訟に補助参加の申立をし、リサイクルと特許権の消尽の問題などについて最高裁において論議を尽くすように意見を表明しておりますが、今回の審理において、これらの争点が環境とのバランスを含めて論議が出来なかった事は、我々リサイクルメーカーにとって非常に残念です。
 
 エコリカは今後も、「高品質で安全な製品を出来るだけ安くご提供する事」や、「現在でも半数以上のインクカートリッジがゴミとして廃棄されている事に対し、回収ボックスの設置や啓蒙活動を通して少しでもゴミを減らすこと」でリユース・リサイクルの輪を広げてまいりますので、引き続き皆様のご支援のほど宜しくお願いいたします。

(エコリカホームページより)

通学は過酷だった。
家から亀山駅までは、アップダウンのある7キロを自転車をこがなければならない。
亀山駅からの汽車は1時間に1本しかなく、8時10分の汽車に乗らないと間に合わない。
雨の日も風の日も雪の日も、自転車で通った。
アップダウンがある7キロを毎日全速力で走るので、たびたび汽車の中でめまいを起こして気絶した。
 
自転車で脇目もふらずに走りまくるので、毎年のように交通事故に遭った。
中でもひどかったのは、町中で路上駐車している車の横を通り抜けようとした時だ。
その瞬間、車のドアが開いたのだ。
 
激突、転倒した。
自転車はぐにゃぐにゃに曲がってしまった。
でも幸い軽い怪我で済んだ。
 
度重なる交通事故にも懲りずに、この自転車通学は高校卒業まで6年間続いた。
のちには自転車でパイクを追い越せるほど筋力がついた。
こりゃ競輪選手になれるな、と本気で思っていた。
意外や意外、高田中学には合格できた。
 
中学といえば、部活動!と考えた。
で、野球部に入部した。
特に野球が得意だったわけではないが、私立の学校は野球が弱そうで、練習が楽だと思って一念発起、入部してみた。
 
しかし現実は甘くなかった。
野球部には鬼の先輩がいたのだ。
 
当時私は腕立て伏せもできないくらい筋力がなかったのだが、なんとその鬼は私に無理やり腕立てを30回もやらせた。
腕立て伏せができないというのに30回やらされるというシゴキがどんなにヒドイか、想像できますか!
 
毎日筋肉痛というか、腕が動かなくなった。
 
また私は逆上がりができなかったのだが、そんな私に鬼の先輩は「鉄棒3分ぶら下がり」を命じた。
3分間ぶらさがって持ちこたえないと、ケツバット(バットで尻を強打されること)が飛んでくるので、死ぬ思いで3分間耐えた。
 
鬼の先輩はさまざまな方法で、か弱い私を徹底的にイジメ抜き、鍛えてくれた。
その鬼のおかげで、私はたくましい少年に成長していった。
人間は自分が考えているような人間になる。

−−アール・ナイチンゲール

心の中で素晴らしい考えを育てるのだ。なぜなら、自分が考えている以上に素晴らしい人間にはなれないのだから。

−−ベンジャミン・ディズレーリ

 
壁にぶち当たった時、その壁は打ち破れるものであろうか。
その壁は外的要因によるもので、自分では如何ともし難い壁に見えることが多い。
しかしその壁は自分自身の心が作りだしたものではないか。
 
人間は自分が考えているような人間にしかなれない。
逆に言うと、常に前向きに夢を追いかけて努力すれば、辿り着けるものだ。
小学6年の冬のことだ。
両親から私立の高田中学校を受験しないかと言われた。
 
兄が2人とも地元の市立中学に進学しており、また家が貧乏だったので、中学校は授業料のかからない市立に行くものとそれまでは思っていた。
地元の市立中学に通うなら自転車で10分もかからないが、高田中学校は三重県の県庁所在地である津市にあるので、駅まで河超え丘超え自転車で7キロ、さらに1時間に1本しかない汽車に15分乗って通うことになる。
ド田舎育ちの私からすれば高田中学は憧れでもあり、それまですごしてきた狭い田舎社会からの脱皮でもあった。
 
両親の強い勧めと期待もあり、にわかに使命感を覚えて、受験勉強を始めた。
だが受験勉強とはいっても、自宅周辺には塾などひとつもなかった。
全国私立中学受験問題集を一冊買ってもらって延々と解き続ける、これが唯一の勉強方法だった。
 
初めて目にする灘中学とかラサールなどの有名校の試験問題は、問題の意味さえもわからないほど難解なものばかりだった。
が、他に勉強方法もわからないので、友達との遊びをきっぱりと断って約2ヶ月間受験勉強に集中した。
 
受験勉強の期間が短いこともあって、受験の日が近づいても相変わらず受験問題集はほとんど解けなかった。
それまで田舎の小さい小学校ではトップの成績だったが、井の中の蛙だった私は、世間の学力レベルがはるかに高いところにあることを初めて思い知った。
 
とにかくやるだけのことはやったが、全く合格する自信はなかった。
困難だから、やろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。

−−セネカ

 
やる前からあきらめてしまってはいないか?
夢を追いかけるのをやめてしまってはいないか?
もう一度志を取り戻して、失敗を恐れず歩き出そうではないか。

スリーイーグループ憲章 顧客・市場第一主義

3.私たちは、お客様に好かれるように、感謝されるように、頼られるように自分を磨き、行動します。
 
当然のことですが、お客様はお店や仕入先を自由に選ぶことができます。
もし私たちの態度や振る舞いなどの印象が悪ければ、お客様は私たちとは付き合いたくないでしょう。
もし私たちが商品やサービスについて何も答えられい場合も、お客様は私たちと取引するのをやめるでしょう。
 
私たちスリーイーグループの社員は、お客様に「おもてなしの心」をもって接します。
私たちは、社会人としてどのような立ち振る舞いをすべきかを全員が学び、お客様が付き合いたいと思う「好かれる」人物になるよう努力します。
 
また商品知識や業務知識、業界知識を身につけ、お客様が必要とされる価値を提供できるように努めます。
そして、お客様に感謝され、頼られる人物になるよう、さらに自分を磨き続けます。
三重県といえば、伊勢海老や鮑などの海産物のイメージがあり、海の近くという印象らしいが、生まれた亀山市には海はなかった。
 
我が家は海岸から20キロほど離れており、小学校5年のときに学校にプールができるまではほとんど水泳をする機会がなく、泳げなかった。
父が夫婦岩で有名な二見ヶ浦出身だったので、たまにいく海水浴で平泳ぎを教えてくれたが、海は波があり、危険すぎて泳ぎの練習にはならなかった。
 
というわけで、小学校にプールができたときはうれしくてうれしくて、夏休みには毎日プールに通った。
当時はエアコンというものは普通の家にはなかったので、夏はとにかく暑く、プールにでも行かないとたまらいという理由もあったが、とにかく毎日プールに通ってなんとか平泳ぎができるようになった。
 
小学5年の夏休みの最後の日、8月31日のことだ。
今日で楽しいプールも終わり。
夏休み中、一日も欠かさずプールに通った成果を示そうと、平泳ぎ500メートルに挑戦をした。
もちろん休憩なしの500メートルだ。
1時間以上かかっただろうか、プールができるまでは泳げなかった私は、夏の終わりには平泳ぎで500メートルを泳ぎきることができるようになっていた。
 
今ではこんなことはめずらしくもなんともないが、当時私の小学校では画期的な出来事だった。
プールができたばかりの田舎の小学校では、500メートル泳げる生徒は他にはいなかったのだ。
ビジネスとは、その人のライフスタイルそのものであり、自分はどういう人間か、自分は何を大切にしているかを表明するものである。

−−クロード・ホイットマイヤー

 
自分を表現するする方法は数多くあるが、ビジネスこそ最大の自己表現方法であろう。
個々のビジネスは、その人によって長い期間を経て醸成された、その瞬間瞬間における最高の結実であるはずだ。
 
自分が一生をかけて実現しようと思うものは何か。
自分がこの世に生を受けて、何を社会に遺し、役立っていくか。
 
まさにビジネスとは、その人のライフスタイルそのものであり、自分はどういう人間か、自分は何を大切にしているかを表明するものである。

スリーイーグループ憲章 顧客・市場第一主義

2.私たちは、商人として、笑顔で明るく元気よくセールスマンシップを実践します。
 
あたりまえのことですが、スリーイーグループは企業です。
そもそも企業は「商業」を営んでいますので、企業に勤める社員は「商人」と言うことができます。
もし私たちが「役所」に勤めているならば「役人」となるわけですが、私たちはは紛れもなく「商人」です。
 
ですから、私たちスリーイーグループの社員は「商人」として、昔ながらの「商人道」を追求し、常に笑顔を忘れません。
 
お客様は暗い、陰気な商人を好むはずはありません。
もし同じ商品・価格で商売している商人が二人いるなら、お客様は必ず笑顔で明るく、元気のいい商人を選ぶでしょう。
 
それゆえ、私たちはお客様を第一に考え、常に明るく元気よく振舞います。
そして私たちは、全員がセールスマンとしての知識と心がけ(セールスマンシップ)を持ってお客様に応対いたします。
1971年に今の実家がある場所に引っ越した。
それまでは林の中にある小さな長屋の家に暮らしていた。
 
私が少年の頃の我が家はとても貧しく、ぎりぎりの生活をしていた。
子供心に「ウチは貧乏なんだ」と認識して暮らしていたと思う。
小学生の頃は、近所の友達がアイスクリームやチョコレートなどを買い食いしていても、私だけは指をくわえて見ていた。
小遣いがなくて買えなかったのだ。
 
チョコレートなんぞは高嶺の花だった。
あまりにもチョコレートに対する憧れが強くて、お菓子の家の夢をよく見たものだ。
いつかはチョコレートを腹いっぱい食べてみたいと本気で思っていた。
今でもたまに気が狂ったようにチョコを食べてしまうのは、この貧乏な幼児体験のせいだと思う。
 
また、両親が郵便局に勤めていたこともあって、無駄遣いせず貯金をするようにしつけられた。
小学校1年生の時には、お年玉を合計で1700円、2年の時には1900円もらったのを覚えているが、1円も使わずに全部郵便局の定額貯金に預けて、それが満期になるまで10年間預けた。
今から思えばあまりにも小さい金額で、貯蓄としての成果はほとんどなかったが、無駄遣いをせずに我慢する習慣が身についたと思う。
 
サラリーマン時代にこつこつと貯金をして、独立資金1000万円を貯めることができたのも、両親のこうした教育のおかげだと思っている。
変わらざるは悪

−−トヨタ自動車

現状を維持していればリスクはないが、利益も得られない。

−−マイケル・デル

 
耳の痛い言葉だ。
人間は、ついつい怠け心が出てしまったり、変化を恐れて現状に甘んじてしまうことが多い。
また、せっかく自らは変わろうと決意しても、周囲の反対にあって断念してしまうこともあるだろう。
 
現状維持は心地よい。
現状維持は実に安楽な世界だ。
しかし、断固現状を否定し、向上と成長を目指さなければ、明日は見えてはこない。
常に挑戦していく姿勢を決して忘れてはならない。

スリーイーグループ憲章は、スリーイーグループの経営理念であるとともに、全従業員の行動規範でもあります。

 

スリーイーグループの行動規範としては、
 顧客・市場第一主義
 ベンチャー精神
 キャリアアップと自己実現
 全員経営者主義
の4項目が定められており、それぞれの項目に3つの行動規範が含まれます。
 
ここからは、この行動規範についてお話ししてまいります。
 

スリーイーグループ憲章 顧客・市場第一主義

1.私たちは、お客様の利益を最優先に考え、お客様に究極の満足を与えます。
 
スリーイーグループは、トナーカートリッジやインクカートリッジ、オフィス用品など、オフィスや家庭で繰り返し使われる消耗品を主体にビジネスを展開をしています。
 
営利企業ですので、商品やサービスをお客様に購入していただき、利益を上げることが目的であるのは間違いないのですが、私たちはただお客様に買っていただければよいとは考えておりません。
 
世の中には、とにかく売れればいいんだ、とばかりに強引な営業を行う会社をよく聞きます。
しかし、私たちの主力商品は特にリピート性の高いものばかりですので、とにかく強引に営業して契約をとればいいというような、売ってしまって「はいさようなら、あとはしらないよ」というような、一発屋的な営業活動はいたしません。
 
私たちの商品は、お客様に繰り返し繰り返し使っていただく、ごく地味な事務用消耗品です。
事務用品は初回購入していただくと、またすぐにリピートオーダーが発生します。
そして、お客様から貴重なリピートオーダーをいただくには、お客様が私たちの商品・価格・サービスに満足していただくことが必要です。
 
ですから、私たちはいつもお客様の利益を最優先に考えます。
お客様が私たちとお取引していただくときには、お客様には必ず利益を得ていただく必要があると考えています。
 
さらに、お客様には究極の満足を感じていただきたいと思います。
少しの満足ではない、大きな満足でもない、他に代わりのきかない『究極の満足』をご提供したいと考えています。
そしてお客様に究極の満足を与えるために、私たちは決して日々の努力を惜しむことはありません。
Work hard. Have fun. Make history.
(よく働き、仕事を楽しみ、世界を変えよう)

−−アマゾン・ドットコム

 
 
仕事をする上で、「世界を変えよう」「新しい歴史を作ろう」という思いを持つことはとても素晴らしいことだ。
 
誰しも最初から使命感に満ち溢れて仕事を始めたわけではないと思う。
しかし仕事を続けていく中で、自分にしかできないものを見つけ、それに打ち込むことができれば、それは素晴らしい仕事になっていく。
「世界を変えよう」「新しい歴史を作ろう」という思いがあれば、仕事は楽しいものに変わる。
そしてよく働き、仕事を楽しむことが、自分でなければ成し遂げられない新しい価値の創造をもたらすのだ。
子供の頃住んでいた実家の周りはすさまじい田舎だった。
三重県亀山市が田舎だったというより、自分の家の周辺がとても辺鄙な場所だった。
 
まず、公共交通機関がなかった。
バスが生まれた頃は走っていたが、利用者が少なくてその後廃止されたらしい。
バスが開通するという話はあると思うが、廃止されるというのはかなりな田舎の証明ではないだろうか。
そんな山奥というわけでもなかったのだが、公共交通機関がなかったので小さい頃の行動範囲はごく限られた狭い世界だけだった。
いつまでも世間知らずの田舎者が抜けきらないのは、そんな環境で育った影響だと思う。
 
というわけで、とにかく自然の中で育った。
春はつくし、わらび、ふきなどの山菜がいたるところで採れた。
つくしやわらびはいまでも大好物である。
 
夏は川で水浴びをしたり、魚釣りやザリガニ釣りをした。
近所の森を探検したり、森の中に秘密基地を作って遊んだりもした。
また母親の実家が農家だったので初夏には田植えを、秋には稲刈りも手伝った。
 
そのほか、アケビを取って食べたり、秋には栗がいくらでも採れた。
冬は今とは違って雪が積もることがあったので、雪の時は当然雪合戦、雪だるま、かまくら作り。
 
正月は、凧揚げ、こま回しに没頭した。
とにかくそんな原始的な遊びしか、生まれた田舎には存在していなかった。
【5】これからのE-business
 
対面販売だけで仕事をしていた頃に比べると、インターネットは、お客様にとっても私たちにとっても大変大きな利便性をもたらしました。
 
Webサイトを利用していただくと、お客様は弊社の営業マンに連絡が取れなくても、ほとんどの商品情報をWebを通じて手に入れることができます。
商品の情報も、販売単価の情報も、在庫状況も、またどのプリンターにどの消耗品を使うかの適合情報も、瞬時に生の情報がWebサイトから入手できます。
また過去の購入履歴も、注文の履歴も、出荷されたどうかやその納期の情報も、すべてWebサイトから手に入れることができます。
 
以前はお客様から営業マンあてに電話をいただき確認していただかなければならなかったことが、今はたとえ営業マンやアシスタントと連絡を取らなくても、いつでも、どこでも、24時間365日情報にアクセスしたり、注文したりすることができます。
 
このような便利なWebシステムがあると、お客様は営業マンと連絡が取れないことによるストレス・イライラや、ひいてはユーザーの苦情からも解放されます。
私たちの側にとっても、お客様とのコミュニケーションをより高度で価値の高いものへと進化させることができるようになりました。
また商取引にまつわる手間やコストについても、お客様と私たち双方で大いに省けたと思います。
 
インターネットは世界中ですでになくてはならないものとなりました。
生活のありとあらゆるシーンで、また経済のすべての局面で、インターネットは社会インフラとして定着したと言っても過言ではないでしょう。
 
私たちスリーイーグループは、E-business(電子商取引の推進)を通して、今後さらに広く社会に貢献し、よりお客様の役に立つ便利なしくみを提供し続けたいと考えております。
それが私たちの企業理念であり、社会に対する使命と認識しております。
スリーイーグループ憲章
〜Ecology,Economy & E-business〜
ビジョン
1.Ecology(環境保護):私たちは、環境保護、資源再利用、地球温暖化防止のために、環境にやさしい商品を普及させます。
2.Economy(経済性の追求、流通価格革命):私たちは、経済性に優れた商品を開発し、流通と価格に革命をもたらします。
3.E-business(電子商取引の推進):私たちは、企業間電子商取引のリーディングカンパニーとして未来へと進化します。


顧客・市場第一主義
1.私たちは、お客様の利益を最優先に考え、お客様に究極の満足を与えます。
2.私たちは、商人として、笑顔で明るく元気よくセールスマンシップを実践します。
3.私たちは、お客様に好かれるように、感謝されるように、頼られるように自分を磨き、行動します。


ベンチャー精神
1.私たちは、夢と志を持ち、ゼロから創造する喜びを追求します。
2.私たちは、スピードを重視し、積極果敢にチャレンジします。
3.私たちは、困難の先には栄光があると信じ、いかなる逆境や変化も乗り越えます。


キャリアアップと自己実現
1.私たちは、生きる意味と働くことの意義を強く認識し、社会に確固たる足跡を残せるよう自己研鑽に励みます。
2.私たちは、物事の本質を見抜き、雑音に動ぜず、信じる道を突き進みます。
3.私たちは、自分の目標と会社の目標を一致させて、自己実現のためにたゆまない努力と向上を続けます。


全員経営者主義
1.私たちは、経営的見地から、新たな改善提案・新規事業の提案をし、それを実践します。
2.私たちは、活力ある、コミュニケーション豊かな会社を造ります。
3.私たちは、あらゆる品質管理に取り組み、よりよい商品とサービスを提供します。
人生において、私は一日たりとも労働などしたことがない。何をしても、楽しくてしかたがなかったのだから。

−−トマス・エジソン

 
生活の技の達人は、仕事と遊び、労働と余暇、情報とリクリエーション、心と体、人生と宗教を、あまりはっきり区別していない。
ほとんど区別がつかないのだ。
何をするにせよ、彼は素晴らしいビジョンを追いかけているだけで、仕事をしてるのか遊んでいるのかの判断は他人に任せている。
本人にしてみれば、いつも両方をしているのだ。

−−ジェイムズ・ミッチェナー

 
最初から仕事が楽しめる人は滅多にいないだろう。
誰しも気乗りのしない仕事がある。
仕事をするのが億劫な日もあるだろう。
だが、ひとたび自分のやりたい仕事にめぐり合い、その道を自分自身で選んだならば、仕事は楽しみに変わってしまう。
苦痛から解放され、ほかの何よりも仕事が楽しくなってしまう。
 
そして真に仕事を楽しみ、没頭し、すべての力をぶつけた時、天は必ず果実を与えてくれるものだ。
【4】基幹連動Webシステム稼動
 
インターネット時代の到来とともに、Web販売は順調に伸びていったのですが、私たちには大きな課題が残っていました。
それは基幹システムとの同期、つまりWebをリアルタイム化するという課題です。
 
当時、私たちのUNIXベースの基幹システムとWebサイトは別々に動いており、情報も別々に掲載していました。
そうすると、リアルな在庫情報がWebサイトに掲載できません。
商品自体の情報にもずれが生じます。
お客様からWebを通じて注文をいただいても、在庫ありと表示されている商品の在庫が実はなくて出荷できなかったり、Web上に表示されている商品が時間差で変わっていたり、お客様にご迷惑をおかけすることがたびたび生じてきました。
 
Webサイトの情報を生のホンモノの情報にしなくてはいけない。
基幹システムと連動した、リアルタイムのWebシステムを構築しなければいけない。
 
私たちは進むべき方向にまた、舵を切ることになりました。
2000年のことです。
 
その後1年半の開発期間を経て、2001年7月、新基幹システムとリアルタイムに連動するWebシステムが完成しました。
システム投資は約3億円。
非常に大きな負担でしたが、E-business、電子商取引を大きく推進するにはこれが避けて通れない道と判断し、社運をかけた投資を決断したのです。
【3】インターネットの勃興と、業界初!Webサイトオープン
 
設立当初の1990年頃は、私をはじめとする営業マンがお客様のところへ出向いて商談をし、注文をいただくというごく一般的な販売会社でした。
零細企業ながら、最先端のコンピューターシステムは導入したものの、お客様との販売は対面営業と電話・ファックスを使ってのものでした。
 
そんな中で1994年頃から地球全体にある地殻変動が起こり始めたのです。
それは、インターネット時代の幕開けでした。
 
当時は携帯電話はもとより、パソコンも今のように普及しておらず、ウインドウズ自体ももバージョン3.1というとても使いにくいものでした。
また当時、日本ではまだインターネットや電子メールという言葉自体も聞くことは稀でした。
しかし、「アメリカでは電子メールが一般化してきたらしい」「ブラウザと呼ばれるものが普及してホームページというものが見られるらしい」ということで、早速自宅にパソコンを購入して興味本位でインターネットに触れ始めました。
 
当時お決まりと言えば、アメリカ合衆国ホワイトハウスのWebサイトを見るとか、世界地図を見るとかそれくらいしかなく、日本の大企業のサイトもほとんど存在していませんでした。
それでも自宅にいながら世界とつながる、世界中の人とリアルタイムにやり取りできる、という衝撃は身震いするほどのもので、目の前が大きく開けた思いがしました。
 
時代は変わる!
インターネットがこれから急速に普及する!
電子メールが普及する!
ワールド・ワイド・ウェブ(Web)が世界を変える!
インターネットによる電子商取引が商売を根本から変える!
 
私たちはインターネットの普及を確信しました。
そして1995年、いち早くインターネットビジネスをスタートさせたのです。
日本のインターネット人口が当時100万人しかいなかったことから、インターネットの普及を推進する役割が必要と考え、当初はインターネットサービスプロバイダーを開業しました。
そしてその後1996年には、日本で最初のトナー販売サイトを立ち上げました。
 
当時の日本ではイーコマース(E-commerce,電子商取引)サイトはほとんどなかったので、インターネットマガジンや日経新聞など、いくつかの雑誌・新聞に取り上げられたりもしました。
 
また、私たちのWebサイトオープンはヤフージャパンがオープンするよりも前のことでした。
何しろヤフーがオープンする時、当社のサイトを掲載させてくれとヤフーから依頼が来たくらいですから。
(今ではヤフーはサイト掲載に1社あたり52,500円もお金を取ります・・・)
 
スリーイーグループの経営理念、3つのEの一つである『E-business(電子商取引の推進)』は、こうしてインターネット時代の幕開けとともに、私たちのテーマとなったのです。
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