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独立を決意したのは就職して2年ほど経った、24,5歳の頃だった。
 
三重県亀山市に男ばかり3人兄弟の末っ子として生まれ、一人上京した私は、社会人になったら家を持とうと思っていた。
手取り10万そこそこの収入だったが、家を買おうといろいろ見て回った。
 
住むなら一軒家と決めていた。
なぜなら、三重の田舎にはマンションなどはなく、みんな一軒家に住んでいたので、東京でも一軒家に住んで当然だと思っていたのだ。
 
東京の郊外を見て回って驚いた。
10坪の土地に建つマッチ箱のような家でも3千万円とかするではないか。
ローンを試算してまた驚いた。
給料の大半をつぎ込んでも、返済に35年もかかる!!
 
ローン返済で人生が終わるのはいやだと思った。
 
また、CSKは給料が安かった。
それでも出世して給料が上がればいいのだが、出世の見込みは全くなかった。
なぜなら、インクリボンを販売する仕事自体がCSKの故、大川功社長に気に入られてなかったからだ。
 
大川功社長は、晩年になって当時CSKの傘下にあったセガが大赤字になった時に、個人資産850億円を瀕死のセガに寄付したという伝説の超豪傑、超お金持ちの、超カリスマワンマン経営者だった。
大川功社長は毎月、社長点検と称して全部門の責任者を集めて業績のチェックを行っていたが、私が所属していたサプライセンターは業績が悪く、社長点検で私の上司は「そんな仕事やめてまえ。ソフトウェアをやれ、ソフトを。」と幹部全員の前で毎月のようにこきおろされて、サプライ販売をやめろと言われていた。
 
そんな部門だったので、いい人事評価がもらえるわけがなかった。
 
それにCSKには同期が600人もいて、最低評価部門に所属しているというハンデを背負って這い上がるには、あまりにも競争相手が多すぎた。
 
それまでも私はあえて安全な道を選ばず、リスクのある選択をしてきた。
CSKにいてもうだつが上がらないし、友達はどんどん巣立っていくし、いっそのこと自分も独立してやろうと考えるようになった。
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