2007-03-01
CSKに就職してちょうど3年が経過した25歳の時(1986年)に、サプライセンターのメンバー4人と一緒にCSKをスピンアウトした。
大阪プラントの販社として大阪プラント販売を設立したのだ。
インクリボンの専門商社の誕生だ。
新規立ち上げというのは、何でも面白いものである。
中央区東日本橋のごく小さい事務所で、事業立ち上げ時の湧き上がるような興奮を感じながら一生懸命仕事をした。
無我夢中で走った。
がむしゃらに働いた。
以前にも増して、パワー全開でインクリボンの販売店開拓をおこなった。
そしてどんどん業績が伸びていった。
お客さんが増えて、朝会社に行くと途端にお客さんからの電話の嵐。
机の上はお客さんからの伝言メモだらけになった。
生きている実感があった。
お客さんから頼られていることがうれしかった。
しかし、折り返し電話をすべてこなすには夕方までかかることも多かった。
それくらい問い合わせや引き合いが多かった。
そして、伝言メモがすべてきれいになくなってからやっと外出開始だ。
少ない外出時間で、1軒でも多くのお客さんを訪問しようと必死だった。
営業から帰るといつも夜になっていた。
そして夜になってから、私はある「壮大な計画」に毎晩取り組んでいた。