子供の頃住んでいた実家の周りはすさまじい田舎だった。
三重県亀山市が田舎だったというより、自分の家の周辺がとても辺鄙な場所だった。
まず、公共交通機関がなかった。
バスが生まれた頃は走っていたが、利用者が少なくてその後廃止されたらしい。
バスが開通するという話はあると思うが、廃止されるというのはかなりな田舎の証明ではないだろうか。
そんな山奥というわけでもなかったのだが、公共交通機関がなかったので小さい頃の行動範囲はごく限られた狭い世界だけだった。
いつまでも世間知らずの田舎者が抜けきらないのは、そんな環境で育った影響だと思う。
というわけで、とにかく自然の中で育った。
春はつくし、わらび、ふきなどの山菜がいたるところで採れた。
つくしやわらびはいまでも大好物である。
夏は川で水浴びをしたり、魚釣りやザリガニ釣りをした。
近所の森を探検したり、森の中に秘密基地を作って遊んだりもした。
また母親の実家が農家だったので初夏には田植えを、秋には稲刈りも手伝った。
そのほか、アケビを取って食べたり、秋には栗がいくらでも採れた。
冬は今とは違って雪が積もることがあったので、雪の時は当然雪合戦、雪だるま、かまくら作り。
正月は、凧揚げ、こま回しに没頭した。
とにかくそんな原始的な遊びしか、生まれた田舎には存在していなかった。