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まず驚いたのは、田倉荘のオヤジが会話の語尾に「だっぺ」をつけることだった。
東京でもこのあたりの言葉は、標準語とは少し違っていた。
 
生活もかなり不便だった。
 
今は多摩モノレールが開通し、周辺もどんどん開発されているようだが当時はひどかった。
まず、食料品を買える店が近くになかった。
歩いて2分くらいのところに店があったが、1年のうち半分は休みで、さらに夕方5時になると閉まってしまう。
 
二番目に近いのが大学生協だったが、生鮮食料品が売っていない。
三番目に近いのは徒歩15分のところのセブンイレブン。
だが当時のセブンイレブンには生鮮食料品は売っていなかった。
 
というわけで、まともな食料品を買うには徒歩30分以上かかる高幡不動まで行くしかなかった。
電車で行くにしても、一番近い多摩動物公園駅まで徒歩10分歩き、それから電車に乗って高幡不動まで行かなければならなかった。
我々は、しかたなく1週間に一度、高幡不動の京王ストアまで連れ立って買出しにでかけた。
 
また、今では伝説になっているらしいが、当時下宿近くの山林には
 「きけん はいるな」
 「まむしもでるよ」
という看板が本当に立っていて、学生をビビらせていた。
 
それから、東京とはいえ山の方なので、冬は雪が積もると春まで消えなかった。
夜になると、もやがあたり一面を覆うことも多かった。
さらに、近くの多摩動物公園から獣たちの遠吠えがこだましていた。
 
一言でいうと、まるで過疎地帯だった。
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