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 この12月1日、スリーイーグループは創業22周年を迎えることができました。これまでスリーイーグループを支えていただいた従業員の皆様、またお取引先の皆様、心より御礼申し上げます。
 起業して3年以内に倒産する企業の割合は70%、10年以内に廃業する企業の割合は93%もあると言われています。
 こうした厳しい実業界の中で22年も続けてこられたのは、従業員の皆様の血のにじむような努力と忍耐のおかげだと思います。またこれまでスリーイーグループを支えていただいたお取引先の皆様のおかげだと思います。本当にありがとうございました。そして今後ともスリーイーグループどうぞよろしくお願いいたします。

 

  スリーイーグループを創業した22年前、私は30歳でした。当時、私から独立起業の意志を聞いた人は、ほとんど全員が独立起業に反対しました。
 「若すぎる」
 「危険すぎる」
 「サラリーマンを続けたほうが安定している」
 「独立して倒産して悲惨なことになった人を何人も知っている」
 「景気が悪いから今はやめたほうがいい」
 そんな意見がほとんどでした。
 それでも私は自分の意志を曲げませんでした。独立起業はもう決めたことだし、サラリーマンの人たちがどんなに独立に反対しても、それは「行動しない人たちの意見」としか思えなかったからです。
 私は両親にさえ、独立することを何も話しませんでした。三重県の田舎でひっそりと暮らしている両親に理解を求めても、到底理解されないことはわかっていたからです。
 「そんな恐ろしいことやめておきなさい」「私たちや親戚にに迷惑がかかったらどうするのですか」「あの知人は東京で独立して失敗し、すべての財産をなくした」などと反対されるに決まっていました。
 ですから、私は両親にも内緒で独立起業しました。もちろん、一切の支援もしてもらっていませんし、いままで経営や資金に関して相談をしたことすらありません。
 厳しい経営の世界での困りごとを田舎の両親に相談しても、到底解決できるものでもありません。それは、ただただ両親を不安にさせるだけです。私は両親に心配をかけさせたくない一心で、一切の相談をすることなく今まで経営を続けてまいりました。

 スリーイーグループ(当時は株式会社オフィックス)を創業して、私にはもう退路はありませんでした。
 ある時期、6畳風呂なしアパートで極貧の暮らしをしながら貯めた1000万円は、すでに会社の資本金に消えていました。
 もう後戻りはできません。失敗も許されません。
 信用もなく、経験もなく、お金も、人脈もない。あるのは絶対にこの会社を成功させようという強烈な熱意と強靭な体力だけでした。
 私は来る日も来る日も倒れるまで働きました。誰も助けてくれる人はいません。誰もお金の援助をしてくれる人はいません。
 自ら営業し、自ら見積りを作成し、自ら電話を受け、自らパソコンに入力し、自ら送り状を買いて、自ら梱包して、自ら発送し、自ら経理をし、自ら請求書を出力し、自ら発送し、自ら集金しました。
 昼間はとにかく営業活動です。夕方になったらとにかく梱包・発送です。夜は経理や請求書作成、見積・資料作成。
 立ち止まって考え始めると、不安で押しつぶされそうになりました。ですから、悩む時間を持たないことにしました。つまり、一瞬の暇もなく働き続ける、という道を私は選びました。
 それが「資金ショート」「倒産」という迫り来る恐怖から自分自身を精神的に安定させる唯一の方法でした。

 

 当時の営業品目はインクリボンが主体でした。またレーザープリンター用のトナーカートリッジが世の中に出てきたばかりの頃でした。
 お客様には、何も実績のない若造の私から商品を購入する理由はありませんでした。ですから私は、お客様にこの私から購入する理由を示す必要がありました。
 「私から購入する理由」・・それは熱意しかありませんでした。また、何かあったらすぐに飛んで来てくれる、そうした安心感、信頼感しかありませんでした。
 ですから、私は時間があったら夜でも営業活動をしました。昼間にいただいた注文をその日の夜に届けたり、特にお客様が「そこまでやってくれるのか!」と驚いてくれるようなことに情熱を注ぎました。
 私の持つ情熱が、お客様に伝わるように、大げさなまでに頑張り続けました。そして、一社、また一社とお客様が増えていったのです。

 

  創業当時の飛躍の転機は、リサイクルトナーにありました。
 インクリボンがあまりにも高額でお客様が困っている。そうした困っているお客様を助けるために、22歳の頃から高額な純正品よりも価格の安い「インクリボンの汎用品」の販売を始めたわけですが、スリーイーグループの創業当時は、そのインクリボンがトナーカートリッジに変わりつつある時期でした。
 インクリボンも高すぎるのに、トナーカートリッジはさらに輪をかけてひどい商品でした。
 何がひどいかというと、まず価格があまりにも高いのです。1本3万円も4万円もするのです。そしてそれがたった3000枚〜5000枚しか印刷できないのです。とにかく価格が高すぎるのです。
 プリンターを買ったらお客様には指定の専用純正トナーカートリッジしか購入する選択肢はありませんでした。立場の弱いお客様に対してプリンターメーカーの横暴さは目に余るものがありました。
 そしてトナーカートリッジにはもうひとつ強烈に悪いところがありました。それは環境を破壊してしまうところです。
 トナーカートリッジは当時「使い終わったら燃えないゴミとして捨ててください」と箱に書いてありました。トナーという黒い粉が少ししか入っていない大きなカートリッジを、使い終わったら使い捨てにしろ、というわけです。
 どうみても何回も使えそうなカートリッジです。それも中には感光ドラムなどの部品もたくさん入っています。そうしたカートリッジを一度トナーがなくなったら全部捨てろ、というのです。
 これはあまりにもひどい話でした。お客様の弱い立場を逆手に取って暴利を貪ることも許せませんが、今度はお客様に無理やり大量にゴミを捨てさせようと言うのです。
 こうしたあまりにも問題のあるトナーカートリッジが、インクリボンに代わってどんどん普及していく中で、私たちの選ぶ道はひとつしかありませんでした。
 それがトナーカートリッジのリサイクルです。



 私は、トナーカートリッジのリサイクルを普及させたいと思いました。どんどん使い捨てにされているトナーカートリッジを少しでも多く回収し、再利用(リサイクル)すれば、これは大きな環境貢献ができると思いました。
 そして私が実行に移したのは、官製ハガキのDMです。当時会社にあった小型コピー機でワープロ原稿を切り貼りした原稿をコピーし、関東一円の上場企業にハガキDMを送りました。
 1000通くらいは送ったでしょうか。そうすると、なんと20%もの反応があったのです!
 やはりお客様が求めるもの、お客様の気持ちは皆、同じだったのです。ほとんどのお客様がトナーカートリッジの値段の高さに疑問を持ち、また使い捨てをすることに疑問を持っていたのです。
 こうして私たちのスリーイーグループの躍進は始まりました。

 私はこれまでの人生で常にリスクの高い道を選んできました。人生の分岐点に差しかかかったとき、「リスクが高く、失敗すれば落ちぶれる可能性はあるが、成功すれば飛躍できる可能性がある道」を選んできたつもりです。
 それは、ほとんどの人が選ばない道でした。時にはそのリスクの高い選択を非難されました。嘆かれました。白い目で見られることもありました。私の辿る道は、常識はずれの険しい道、馬鹿げた道だったのかもしれません。
 しかし、そうした新しいもの、リスクの高いものに挑戦することこそが、このスリーイーグループの特徴であり、我々独自のスピリッツであると言えるのではないでしょうか。

 

 創業22年。あっという間に過ぎ去った22年ですが、これからも私は挑戦をし続けていきたいと思います。 人々が困っていること、疑問に思っていることを私たち自身が解決し、社会貢献していくこと。誰もが躊躇し、二の足を踏むような困難な高い山に敢えて挑戦し、実績をたたき出していくこと。そして、結果として私たちスリーイーグループの従業員も繁栄する・・こうした挑戦を息絶えるまで続けていきたいと思います。


 今後もスリーイーグループは未来に向かって進歩発展してまいります。従業員の皆様、そしてお取引先の皆様、何卒お力添えをよろしくお願い申し上げます。

 

平成24年12月1日

スリーイーグループ

代表 北中 彰

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