◇物心両面の幸福の「物」とは
「物」とはモノです。「物」とは豊かさであり、待遇です。私たちが安心して生活できるということです。同じ仲間として、生涯を通じてこの会社で働いて生活ができることです。
皆さんはまだ若く、家庭を持ってはいません。一人で生きていくなら、なんとかなるかもしれません。しかし、皆さんはこれから家庭を持つことになると思います。そうすると家族の生活を支えていかなければなりません。
家族が幸せに、安心して生活するためには、まずはその基盤となる「物」が必要になります。それが物心両面の「物」です。
◇「心」の幸せとは
しかし、人の幸せは物的なものだけではありません。心の幸せが必要です。
物心両面の「心」とはその「心の幸せ」を意味します。
皆さんは、何のために就職するのでしょうか?
親が就職しないとうるさいからでしょうか?
就職しないと世間体が悪いからでしょうか?
友達みんなが就職するからでしょうか?
大学を出たら就職することが常識だからでしょうか?
遊ぶお金を作りたいからでしょうか?
単に常識や世間体で働くなら、限界が出てきます。なぜなら、人は誰もが望む就職ができるわけではないからです。
特に今の時代、就職活動は大変厳しいです。こうして皆さんは何十社も応募し、苦労されていることかと思いますが、希望の就職を叶えられる人はごくわずかしかいません。
なんとか内定が出た。本意ではないがそこに就職する。そうした人がほとんどだと思います。
私自身も、学生時代はあまり自分自身の将来や人生のことを深く考えていませんでした。就職活動自体も、あまり企業の研究もせず、流行に目を奪われながら大した軸も持たずに就職活動をしていました。
そんな中で、やみくもに就職活動をして内定をもらい、自分の本意ではないところに何となく就職してしまう、ということが起こります。そして、これは自分の希望していた道ではないのだ、と思いながら、迷いながら仕事に就くことが往々にして起こります。
これが不幸の始まりなのです。
就職すると、時間の大半を仕事に費やすことになります。朝早く起きて、家に帰る頃にはもう夜になっています。まさに人生の大半が仕事になります。
その仕事を、本意ではなく働くことが幸せでしょうか。自分の本当のやりたいことはこれではない、と迷いながら働くことが幸せでしょうか。
また、単に世間体を繕うために働くことが、本当に幸せなのでしょうか。
私たちは、働くことによって「心の満足」を追い求めたいと考えています。
「心の満足」とは、一生懸命働いて、充実した人生を送ることです。また仲間とともに高い目標にチャレンジし、困難を克服しながらその高い目標を成し遂げることによって、何物にも代えがたい喜びを得ることです。
ですから、まず必要なのが仕事を好きになることです。与えられた仕事が、出会った仕事が天職とも思えるようになるまで、仕事に打ち込むのです。
仕事に打ち込めば成果が出てきます。いい仕事をすれば、お客様からも感謝されます。仲間からも感謝されます。感謝されるとさらにやる気も出てきます。
お客様から感動されることもあります。感動が感動を呼び、本当にこの仕事をやってよかったな、と思えるようになります。そうしたことを通して、「たまたま就職した仕事」が「好きな仕事」「天職と思える仕事」に変わっていきます。
こんな仕事はやりたくはなかった、と思いながら働いてもいいことは何もありません。私たちは、それぞれが仕事に精魂込めて打ち込み、新たなチャレンジを繰り返して働く喜びを追い求めます。そして、仕事を通して充実した素晴らしい人生を送りたいと考えています。
また、私たちは心の豊かさを求めています。私たちはフィロソフィの学びと実践を通じて、人間性を豊かにし、心を高めていきます。
すさんだ心には幸せは訪れません。人として正しいことは何であるかを学び、実践していくことにより、人間の本当の幸せが訪れます。
先ほどお話した「仕事を好きになり、一生懸命仕事の打ち込む」ということも、「フィロソフィの実践」の一つです。このフィロソフィについては後ほど詳しく説明いたします。
(つづく)