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リサイクルインク事業開始の話はとんとん拍子に進んだ。
 
まず最初に、私から製造委託先として株式会社ジットに声をかけた。
以前からエステー産業の汎用インクをジット経由でスリーイーグループが仕入れ、それをエムエスシーに販売しており、ジットが当社の取引先だったからだ。
 
なぜ今エコリカのパートナーであるエステー産業を最初から製造委託先に選ばなかったのかというと、当時エステー産業と当社は取引がなくなっていたからだ。
エステー産業は以前甲府工場でトナーカートリッジのリサイクルをやっており、スリーイーグループの仕入先でもあったのだが、その後エステー産業はトナー事業から撤退し、当社との取引はなくなっていた。
エステー産業は汎用インクカートリッジにおいて確固たる実績があったのだが、エコリカ設立当時は当社との取引がなくなっていたので、エステー産業には声をかけなかったのだ。
 
というわけで、私はジットにリサイクルインクの製造を打診した。
すると「リサイクルインクは製造可能」と回答が来た。
そうなると話は早い。
すぐに私と宗廣社長とジットの社長の三人で会談を行い、リサイクルインクを販売する新会社設立で合意した。
以前にも書いたが、インクリボンはプリンターによって指定のものしか使えない。
カートリッジの形が合わないとプリンターに装着できないのだ。
 
さらにメーカーは、プリンターを出すたびにカートリッジの形を変えてくる。
我々のようなサードパーティーが、非純正品(汎用品)をユーザーに提供し、ユーザーに救いの手を差し伸べるのだが、純正メーカーは新しいプリンターには新しいカートリッジでという作戦で徹底的に純正品を使わせようとする。
新しいインクリボンが登場したら、我々はすみやかに汎用品を出す。
するとメーカーは、また新しい形のインクリボンを作る。
いつまで経っても終わらぬいたちごっこだ。
インクリボンの種類は増え続け、ユーザーはさらに困惑していた。
 
膨大な数のプリンターに対し、膨大な数のインクリボンが存在していた。
同じ形のインクリボンでも、プリンターメーカー各社が別々の名前をつけたりして、ユーザーはどの汎用インクリボンを買えば経費節減ができるのか、複雑すぎて簡単にはわからない状況になっていた。
どのプリンターがどのインクリボンを使うかがわかりやすくならないと、結局ユーザーは面倒なのでついつい純正品を買ってしまう。
 
これではいけない。
 
そこで当時の私が開発したのが、インクリボン検索システムである。
膨大な量のプリンターとインクリボンの互換情報をデータベース化し、プリンター機種名を入力すればどのインクリボンを使うかがパソコンで検索できるようにしたのだ。
同時にその互換情報を本にして販売店に配布した。
大手文具メーカーがインクリボンの互換情報を「検索台帳」という名前で配布していたので記憶にある方もいる思うが、実はその互換情報は私が作っていた。
 
当時は、朝から晩までは営業活動をしていて時間が限られていたので、同僚が帰宅して夜になってから、ひとり黙々とデータベースの構築作業を続けた。
何日も家に帰らない日が続いた。
昼間は営業活動、夜はデータベース構築作業で、いつも睡眠不足。
毎日、頭は朦朧としていた。
だが、このインクリボン検索システムを早く完成させないとユーザーが高いインクリボンを買うことになってしまう。
このシステムがないと、純正メーカーがインクリボンで膨大な利益を上げ、ユーザーが一方的に損をする状況が変えられない・・・
 
何度も挫折しそうになりながら、何ヶ月もかけて、ついにそのインクリボン検索システムは完成した。
そして多くのユーザーが、プリンターメーカーの陰謀から救われたはずだ。
CSKに就職してちょうど3年が経過した25歳の時(1986年)に、サプライセンターのメンバー4人と一緒にCSKをスピンアウトした。
大阪プラントの販社として大阪プラント販売を設立したのだ。
インクリボンの専門商社の誕生だ。
 
新規立ち上げというのは、何でも面白いものである。
中央区東日本橋のごく小さい事務所で、事業立ち上げ時の湧き上がるような興奮を感じながら一生懸命仕事をした。
 
無我夢中で走った。
がむしゃらに働いた。
以前にも増して、パワー全開でインクリボンの販売店開拓をおこなった。
そしてどんどん業績が伸びていった。
 
お客さんが増えて、朝会社に行くと途端にお客さんからの電話の嵐。
机の上はお客さんからの伝言メモだらけになった。
生きている実感があった。
お客さんから頼られていることがうれしかった。
しかし、折り返し電話をすべてこなすには夕方までかかることも多かった。
それくらい問い合わせや引き合いが多かった。
そして、伝言メモがすべてきれいになくなってからやっと外出開始だ。
少ない外出時間で、1軒でも多くのお客さんを訪問しようと必死だった。
 
営業から帰るといつも夜になっていた。
そして夜になってから、私はある「壮大な計画」に毎晩取り組んでいた。
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