北中彰が生まれてから就職するまでの 「回想録」 です。
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北中彰が生まれてから就職するまでの 「回想録」 です。
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こんな状態で就職できるのだろうか・・・
急遽、大学の級友に助けを求めた。
すると、
「おまえ、シーエスケーって知ってるか?」
と級友が言う。
正式名が「コンピューターサービス株式会社」、略してCSKというらしい。
急成長しているコンピューターソフトの会社だとのこと。
そんなにおすすめなら、ということでその級友と一緒にそのCSKを会社訪問した。
訪問してみて初めて知ったのだが、コンピューターのソフトウェアは有望だとのこと。
それまではコンピューターはハードウェアの時代だったが、これからはソフトの時代らしい。
それに東証2部に上場したばかりで、破竹の勢いで成長しているという。
なるほどこの会社、いいかも・・・
面接を受けたら、なんとその場で「採用!」と言われた。
あっけなく、一社目の内定がとれたのだ。
だが、これが最初で最後、唯一取れた内定だった。
あとで聞いたら、当時CSKは社員4000人の会社だったが、新卒を600人も募集していたらしい。
そして、600人の新卒を集めるために、面接した大学生は全員を採用していたのだ。
誰でも受かるわけだ。
あきれた会社だった・・・
それから数日後には、伊豆の研修施設である「大室山山荘」にバスで連れて行かれた。
そこには内定が決まった大学生がたくさんいて、ドンチャン騒ぎの宴会をしていた。
飲むや食うやの大騒ぎ。
普段まともなものを食べていなかった私には、無尽蔵に出される海の幸、山の幸はあまりにも魅力的だった。
そして何もかもがうまかった。
とにかくCSKは、ただ騒ぎまくるだけの学生たちを大歓迎してくれていた。
安易な私はCSKのこの気前のよさが大いに気に入った。
「よし、就職はここでいいや。上場企業だから、少しは親にも面子は立つし。」
このようして、私の就職先はCSKに決まったのだ。
「もう若くないさ〜」 とつぶやきながら、髪を切った。
大学4年の8月、やっと重い腰を上げて就職活動を開始したのだ。
だが、就職するには成績が悪すぎた。
ロクに出席もせず、バイトと麻雀に明け暮れていたから当然といえば当然なのだが、とにかく成績が悪すぎた。
しかし、私大文系にありがちなことだが、出席を取らない授業のおかげで、大学にロクに行ってなかったが試験だけはこなしていたので、卒業できる望みはまだあった。
だが、全くといって勉強もしておらず、新聞も読まず、企業研究もやってないものだから、どこに就職していいかがわからない。
どの企業が有望なのか、何もかわからないので、学生人気ランキングの上位から当たることにした。
無謀な話だったが。
当時学生に人気といえば、損保と商社だ。
損保は、東京海上と住友海上、
商社は三菱商事、住友商事、伊藤忠、丸紅に候補を絞った。
さらにこれは無謀な話だった。
当時は10月1日が企業と学生が接触を開始できる解禁日だったが、解禁日前の就職活動はのれんに腕押し、糠に釘状態。
まったくいい感触がない。
というか、成績が悪すぎ、かつ常識も知らなかったので、就職するための基礎がなっておらず、全くと言っていいほど企業に相手にされなかった。
成績の悪い、わけのわからない学生と見られたわけだ。
こんな状態で就職できるのだろうか・・・
就職活動の厳しさに、不安の日々を過ごしていた。
ブルーバードUに乗る前、一度だけ車を友達と共同所有していたことがある。
大学2年の時、以前田倉荘でいっしょだったF君とお金を出し合って、マツダのグランドファミリアを買ったのだ。
グランドファミリアは当時「サバンナもどき」と言われたレシプロエンジン車。
ロータリーエンジンを積んだサバンナRX−3が高くて買えなかった私たちは、一見してサバンナに見えるグランドファミリアを選んだのだ。
なぜ共同所有にしたかというと、当時貧乏学生だった私たちには自家用車は高嶺の花で、一人で買う勇気もなかったし、カネもなかったからだ。
京王線の中河原に住む私と、隣の聖蹟桜ヶ丘に住むF君で交互に乗れば、車を半額で所有できるという、今を思えばとても先進的な考えだった。
最初は今日はオレ、明日はF君、と交互に仲良く利用していた。
ところがその関係は、すぐにもろくも崩れた。
当時私は独り者。
一方、F君は聖蹟桜ヶ丘で彼女の同棲していた。
それも彼女の妹と一緒に同棲していた。
今思えば妙な同棲だ。
それはともかくとして、私はひとり、彼は実質的に家族がいたわけだ。
ひとりで車を使うのと、家族で車を使うのと、どちらが大義名分が大きいか・・・
というわけで、私は「車を使いたい」とは言いにくい状態になってしまったのだ。
これでは何のための共同所有なのかわからない。
ほどなくサバンナはF君専用の車になってしまった。
画期的だと思った車の共同所有は、あっけなく幻と消え去った・・・
(前編よりつづき)
今は明石海峡大橋があるので、本州から淡路島にはすぐに渡れるが、当時は明石海峡フェリーに乗らないと淡路島には行けなかった。
おまけにお盆休みだ。
徳島では阿波踊りも待っている。
いわんこっちゃない、フェリー乗り場は長蛇の列で、結局8時間も待ってやっとフェリーに乗れたのだ。
ようやく淡路島に着いた。 フェリーは淡路島の北端、岩屋港に着くので、四国に行くためには、そこからさらに南にある福良港まで淡路島を縦断しなければならなかった。
車を走らせてみると、淡路島は想像以上に大きかった。
北から南までは50キロくらいあっただろうか。
相当な距離がだった。
ようやく福良港にたどりついた。
さあ、いざ四国行きのフェリーだ!
ところがどっこい、福良港にもまたまた長蛇の列。
結局ここでも6時間も待たされた。
今なら大鳴門橋を使えば一瞬で渡れる距離だ。
いやあ、あまりにも四国は遠かった。
今は本州四国連絡橋が3本も建設されて、どれも国民の税金が使われた上で大赤字だというが、お盆休み中のフェリーで地獄の苦しみを味わった私としては、本州四国連絡橋もムダではないと思えてしまう。
ちなみに、徳島のホンモノの阿波踊りは最高!だった。
話はおもいっきり前後するが、ブルーバードUで四国旅行に行ったことがある。
牛乳配達のバイトの先輩が四国出身だというので、一緒に四国に行こうということになった。
その先輩は、徳島県は鳴門市の出身。
そう、うどんとかに乗っかっているあのナルト!
渦巻きのナルトだ。
ナルトの蒲鉾は、鳴門海峡の渦潮に似ているからそう呼ばれているのだ。
そして徳島といえば、阿波踊り!
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ」
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」
高円寺でやっているアレとは違う。
ホンモノの阿波踊り!
というわけで、無謀にもお盆休みに先輩と一緒に徳島に向かった。
いつもは絶対に乗らない高速道路も、先輩が「オレが払う」というので、贅沢にも首都高から東名高速、名神高速と大々大盤振る舞い。
少々渋滞していたが、一般道と違って信号もない・・・
ほどなく明石に到着。
さあ、明石海峡フェリーでいざ淡路島だ。
(明石から鳴門に行くには淡路島を経由する)
だが、時はお盆だった。
今なら明石海峡大橋を使えば一瞬のうちに海峡を渡れるが、当時はフェリーしかなかった。
そしてお盆だ。
阿波踊りも待っていた。
フェリー乗り場に着いたら、びっくり仰天。 車車車、の長蛇の列。
結局、8時間も待ってやっとフェリーに乗れたのだ。
(つづく)
牛乳配達のバイトは結構給料が良かったので、車でも買おうかと考えていた頃のこと。
(つづく)